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   Ironman World Championship2012 参戦記


”夢が叶えられた日”



世界中のトライアスリートが憧れる大会、
それがハワイアイアンマンです。

”世界最高峰のレースは想像を遥かに超えていた。”

 2012年12月5日
チームBigLake代表:室谷浩二

ブログ遅咲きアスリート

 

報告が遅れて大変申し訳ありませんでした。
今回、自身のブログを通じハワイアイアンマンの全てを振り返ってから、このレポートを提出しようと思っておりました。
少し間が抜けてしまった感はありますが、これからハワイを目指したい方々に、少しでもハワイアイアンマンの雰囲気が伝わればと思い報告させて頂きます。

そして私がトライアスロンを始めて以来、ずっとお世話になり続けている「ここでジョミ」
今回レース中使い続けられたこと。

幾度も襲ってきた痙攣を回避させてくれて、ゴールまで導いてくれた事に改めて感謝したいです。大渕さん本当にありがとうございました。

今思い返すと、この最高峰のレースハワイアイアンマンに出場出来たのは奇跡としか言いようがありません。
今年の3月頭に襲ってきた疲労骨折
宮古島では奇跡の走りでラン折り返しまで走ることが出来ましたが、残りの半分はひたすら涙しながら歩いてゴールしました。

その後再び疲労骨折していることが分かり、ランの練習が全く出来ないまま6月、ハワイの予選を兼ねたアイアンマンセントレア常滑ジャパンに参戦したのです。


このレースは予想以上に国内の強豪がひしめき合っていました。
50−54のカテゴリーでハワイのスロットは多くて2つ。正直、可能性はゼロと考えていました。

そんな事よりも宮古島で涙を流し歩き続けてゴールしたので、このレースでは順位関係無く、とにかくランで走り続けて“笑って”ゴールしたかった。

そんな思いでこの予選に挑んでいたのです。


でも、蓋を開けてみたら結果はエイジ2位


ずっと”夢”だったハワイの地に足を踏み入れる事が出来る。

このご褒美と同時に、疲労骨折の痛みはセントレアのレース以降消えていました。
半世紀生きてきた節目の年、まさに奇跡のドラマを自ら体験したのでした。


セントレア以降は2つの51.1kmのレースでエイジ優勝を勝ち取り、順調に練習も積めて10月10日聖地ハワイの地に降り立ちました。
特に絶対的な自信をつけるためランの練習は今までにない負荷を与え、それに耐えてきました。



”世界最高峰のレースは想像を遥かに超えていました。”


先ずこのハワイアイアンマンについて少しだけ触れておきましょう。

ハワイ島コナのアイアンマンレースに出場できる選手は世界中で行われているアイアンマンレースの予選で実績を残した選手しか与えられない世界最高峰のレースです。

(毎年世界中で開かれるアイアンマンレースは30前後、約5万人といわれるトライアスリートがしのぎを削り、ハワイ島コナのゼッケンを手に入れようと挑みますが、このスタートラインに立てるのはたったの2000名という狭き門なのです)

  

世界中のアスリートが憧れる大会、それがハワイアイアンマンです。

ハワイ島の地を踏んだ瞬間から、今までDVDや写真の世界でしかなかった風景が全て目の前にあることの感動から始まりました。

偶然にも以前から知り合いだった関西の仲間と行動を共に出来た事で楽しさも倍増。

また現地でお会い出来たハワイ常連の強豪アスリートとも新たな出会いが実現し、本当に楽しい毎日でした。
レースの4日前に入島出来たこともあり、ゆったりと準備が進められ、この間、選手登録、エキスポ、試泳、ショッピング、カーボパーティー全てを楽しめましたね。

中でも、試泳時は当日のレーススタート時刻と同じ時間に会場に行くと
山裾からの日の出と同時に海が黄金に輝いる中に入っていけた時は本当に感動しました。

準備も体調も問題なく(ただ買い物にかなりの時間を費やしていたので、ここは素直に反省(苦笑))事を進められ、そしていよいよレース当日がやってきたのです。

午前3時には起床。朝食もしっかり摂れ、ナンバリングやバイクの最終準備も難なく済ませて一旦ホテルに戻り、ストレッチなどをして気を紛らわせていました。

(なんとも言えない緊張感があったのは事実です)

ハワイアイアンマンの距離226km
この間に幾度となく訪れるであろうドラマ全てを楽しもうと挑んでいきました。

   


スイムは男子プロが6時30分、女子プロがその5分後にスタートしていきます。

そして約2000人のエイジは7時ジャストのスタートとなります。
プロがスタートしていくシーンは一度も見ることは出来ませんでしたが、あの大砲の実音はレースが終わった今でも蘇ってきます。

スタート20分前から徐々スタート地点に泳ぎだす選手たち
でも余り早く入水してもフローティングスタートだし、更にウエットスーツは禁止なのでスタート5分前まで海岸で待機し、バトルを避けるため左端からスタートしていくことにしました。(スイムは一番苦手な種目のため)

そしていよいよ5分前、スタートラインまで進んで行こうとしたものの、間に合わないことが分かり結局、中央に一個大きなブイがあったのですが、そこでスタートを待ちました。

最前列より3列目くらいで待機し、周りの雰囲気でスタートしていきましたが、今年は少しフライングがあった様でした。(あの大砲(空砲)の音は聞こえませんでした)

スタート直後のバトルを心配していましたが全くありません。
ストレスなく自分のペースで折り返しまで一直線。
頑張って泳いでいましたが、海底や周りを見る余裕もあり、本当に夢にまで見たレースに参戦していることをひたすら喜びながらレースを楽しんでいました。
そしていよいよ折り返し。
ここもバトル無で折り返した、その直後目の前に両足の無いアスリートが現れました。
ハンディキャップをものともしない彼の泳力にただただ感心するばかり。

結局このアスリートと殆ど一緒にスイムアップしたのです。

    


時計は1時間14分でした。目標タイムより4分遅い
でも苦手のスイムが終わったので、これから、これからと言い聞かせ、バイクの準備をしてバイクエリアに入っていくと。。なんと半分くらいのバイクが無くなっているんです。

(リザルトを確認すると私がスイムアップしたときは1000人以上が既にバイクスタートしていました。)
流石に世界最高峰のレースです。
DVDで幾度となく見てきたバイクスタート位置まで行くと、まだまだ沢山の観客がいます。この観客の声援を受けながら180kmの長い旅に出発していきました。

  


バイクは序盤ギャラリーの多いコース設定になっていて感動の連続でした。!!

クイーンKに出てからはひたすら小刻みなアップダウン+ひたすら直線、そして風との戦いです。半分の距離でアベレージは35km、宮古島とほぼ同じタイムで無理せずに攻め続けていきます。

しかし前を向いても後ろを振り返っても人、人、人!!
宮古島では40kmも走れば、前にいる選手はちらほらになってくるのに。(涙)

コナウインドの洗礼を受けながらも、ただひたすら前を向いてコナに無事に帰ってきました。

バイクラップは予定より15分遅いタイムで5時間35分でした。

  


バイクゴールすると、ボランティアがバイクを運んでくれます。ありがたい!!


そしてランのトランジッションバックを受け取りテントに入ると物凄い人。(苦笑)
選手一人一人にボランティアが付いてくれます。

トイレもテント内で済ませて、最終ランへと移行していきました。

この時点で2種目共に目標タイムをクリアできなかったので、最後のランは3時間30分で走り切ろうと気持ちを切り替えました。

最初は自分のペースよりも早く突っ込む確率が高いので、抑えて入ったつもりが4分30秒。足取りも軽く感じられコナウインドに対しても何とか無理せずに対処出来たと確かな手応えを感じていました。

 

   

しかし、7km付近で痙攣が起こり、その後も数度痙攣で歩く展開になってしまいました。

ここで諦めるわけにはいかない。

なんとか回復するのを待ちながら、次のエイドまで、次のエイドまでと自分を励まし続けてました。
エナジーラボの折り返しを過ぎ、30kmを超えてから少しずつ回復し始め、ようやくキロ5分で走れるようになってきました。

   

「抜かれた分、抜き返そう!」 そんな思いで残りの12kmを懸命に走り続けました。

クイーンKから右に折れて、長い下り坂に入ると残り3km

ここから奇跡的な走りに変わりました。きっと応援して下さったすべての方々のパワーが蘇ったのでしょう。

そして沢山の観客の声援に後押しされて、アリードライブに入り残り1kmに。
この辺りから止めどなく流れてくる涙

   


その涙には


半世紀生きてきた中で最もハードルが高かった”夢”が実現出来た喜びと同時に、このステージに立つまで本当に沢山の方々に応援してもらえたからこそであること。
その幸せを感じたからです。


夢でしかなかったこの大舞台。DVDや写真でしか見たことがなかったゴールゲート
その場所に10時間45分で帰ってきました。
(ランラップは3時間47分でした)

50−54エイジカテゴリー147人中33位という結果でした。

   

「ハワイに一度行くと虜になってしまうよ」
と事前にハワイの常連の方から聞いていた私

その時点では1度行けたら次は定年までは行けないだろうし、(2013年からエイジもポイント制になると言われていたため)今回の1回で十分だと思っていました。

でも、ゴールテープを切った瞬間
来年は最後のランを走り続けてゴールしたい! そんな気持ちに変わっていました。


このハワイの地に立つためには、毎年相当な覚悟が必要だということは言うまでもありません。そして世界各国で開催される予選の上位(私のカテゴリーでは多くて2つ)に入らなければ権利を勝ち取ることは出来ません。


でも、可能性を信じて己と向き合うことの過程は、決して人生の無駄にはならないと思います。
家族、チームメイト、仲間、友人、スポンサー様に支えて頂きながら、50歳を超えた私の挑戦はこれからも続いていきます。



来年は3月の頭に開催されるニュージランドの予選に出場し権利を狙いに行きます。
そして権利を勝ち取れば、来年のハワイではエイジカテゴリートップ10を狙いに行きたいと思っています。

長文、最後まで読んで下さり本当にありがとうございました。
また乱文をお許し下さい。


追伸
今回のハワイアイアンマンレースで「ここでジョミ」を使用した詳細を紹介しておきます。ご参考まで
レース前日(2本)
レース当日:スタート前(1本)
バイク:10本(フラスクに入れて使用)
ラン:10本(同じくフラスクに入れて使用)
レース翌日:2本

   



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